国東半島・六郷満山を訪ねてパート3

本日急遽国東半島を訪ねることにした
今日は文殊仙寺を中心としたコースを選び一路大分空港方面へと車を走らす
国東市田深より成仏寺ー文殊仙寺ー岩戸寺ー長慶寺ー大聖寺ー千燈寺ー清浄光寺というコースを選んだ
先ずは成仏寺を目指して車を走らす 思うにこの道は45年ほど前の銀行員時代に得意先係として走った記憶があるがもちろん道路事情も様変わりして所々にそういえばと思うところがあるくらいだ まだ新入行員の初々しい頃で話である 御住職は私よりも3学年上で暫し話が弾んだ もしかしたら親不孝通り(当時はスナックがそこそこあった)でお会いしているかも?国東のお寺をたずねるたびに思うのであるが山門の仁王様の表情が他の地域に比べるとやや柔和というか愛嬌があるというか・・みなさんそう思いませんか この地の鬼は神様として人々を守ってくれるとか 今もこの成仏寺と天念寺では旧正月に修正鬼会と言って僧侶が扮するこの地の鬼は、災いを払い福をもたらし、悪鬼ではなく鬼様と呼ばれ安穏を祈願する火祭が行われています 素朴で優しい風習が今も息づいている国東半島である

成仏寺本堂

山門の仁王様もどこか愛嬌がある

仁王様の対


成仏寺から一山越えて隣の谷へ降り更に登っていくと奇岩に囲まれた山々の中に佇む日本三文殊の一つとして古くより親しまれている文殊仙寺がある 648年の開基とされ六郷満山寺院随一の古刹。300段ほどの階段を登ると奇岩や大きな木の根っこに守られるようにして奥の院が佇んでいます

16羅漢

奥の院

奥の院付近にある大きな木の根っこにも神聖なるものを感じます

更に一山越えて谷を降っていくと岩戸寺に出るここの国東塔は一番古くその姿が美しいと云われています この日は冬型の気圧配置が進みやや寒いくらいでお参りしたときには誰も会いませんでした
冬枯れは景色だけではなくこの地にもおとづれているような感覚に包まれての参拝となった それでもそのことも含めて包み込む何かが感じられますね

岩戸寺の参道

一番古く美しいと云われている国東塔

奥の院に続く石段 好石段の中程右側に国東塔があります


岩戸寺から少し降ると右側に長慶寺があります 苔むすにわと手入れの行き届いた花の沢山あるお寺さんでした

長慶寺本堂


更に下ってオレンジロードを少し過ぎたあたりに大聖寺があります 参道は少し荒れ気味でしたがこじんまりとした素敵なお寺さんでした

大聖寺の本堂


大聖寺からオレンジロードに戻り国見方面へ約20分走ると千燈寺があります 全盛期は六郷満山最大勢力とも云われた千燈寺。現在の千燈寺から更に上流に山の中に仁聞菩薩入滅の地旧千燈寺趾が有ります 現存する奥の院以外はお堂跡しか残っておらず、苔むした仁王像が優しく出迎えてくれます 近くの第一駐車場まで行ったのですがそれから歩く体力と健康状態、気象条件を考えて仁王様にお会いするのは今度の楽しみに取っておくこととし帰路につきました

千燈寺本堂

国東半島・六郷満山を訪ねての旅も残り少なくなりましたが二巡目はもう少し時間をかけてゆっくりと回れたらいいかなと思いつつ夕暮れ迫る石楠花色の空と少しぼやけた山の端を眺めながら国東路を走ると朧月夜の歌が頭の中でふと浮かんできます

「国東半島・六郷満山を訪ねてパート3」への2件のフィードバック

  1. マスター今年もどうぞよろしくお願いします。国東半島の記事を読んで、懐かしくなり、次回野乃花ステイの目的として国東半島巡りを見つけて、楽しみにしています。
    自宅自粛は老婆にとっては温室暮らし?
    天国暮らし?に近いです。
    健康はそこそこキープ、お金も最低限の支出のみでキープ。
    しかし刺激のない生活だと記憶が一向にキープされません。
    それな言い訳にしながらも、年末年始にかけて、同じ本を2冊買っているのに、
    気が付き、愕然としました。
    幻冬社の若い女性作家、イメージコンサルタントの吉原珠央さん、題名自分のことは話すな。副題仕事と人間関係を劇的によくする技術。娘に話したら、いまさら性格は変わらないから不要よ。不要が2冊無駄が2冊たまり、コロナより認知が心配の私です。三密ならぬ内密でお願いします。豊村

    1. ののかオーナー

      咲枝さん、コメント有難うございます
      こちらも同じような生活を送っております
      薪ストーブの前で日がな一日中読書三昧、まるで熊のプーさんの冬眠生活のような時間の推移、その結果この冬はかなりの本を読み込みました
      そこでダブル購入は当然発生しましたよ しかも二冊目はかなり読み進んで『あれ、これって読んだ本じゃん!』と気づいてがっかりしたこともあるあるです
      そのことが認知症ならば髭マスターはかなり進んでいるようですが気にしません 70年近くも生きていたら必要なものも少なくなりその結果いらないものは忘れるということと思うことにしていますので。時として必要なものも忘れてしまいますが忘れてしまっても生きていけるのですからきっと絶対的に必要じゃなかったのだと思うことにしています この世の中で絶対的というのはおそらく『死』だけだと思います それまではあるがままに楽しく身の丈に合った生活を楽しめたらいいのじゃないかなぁ 
      さてさて、三密ならぬ内密にということですがコメント承認することイコール全世界にカミングアウトですよね
      でもご安心してください 地球の人間どもにはわかってしまっても宇宙人には内密にしておきますから・・・
      一日でも早くコロナ禍が落ち着き旅が自由にできるようになるといいですね
      3月には国東半島六郷満山を訪ねてを計画しましょう 長崎鼻も岬一面菜の花で被われてとても綺麗ですから・・・
      その日を楽しみにしています

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